2025.05.17
毎週末天気が悪くお出かけできずにいましたがとりあえず雨の福島訪問です。
磐梯西山麓湧水群(ばんだいにしさんろくゆうすいぐん)
雨の中、山の中へ行くこともないかもしれませんがとにかく訪問です。
磐梯町磐梯山慧日寺資料館に車は停めさせて頂きました。
龍ヶ沢湧水として看板整備されてました。
ここから、山道で15分だそうです。もう少しこの道も整備して頂けると嬉しいですね。
熊スプレーを握りしめつつ何とか湧水到着です。
綺麗な感じ。でも飲むにはちょっとためらわれて味見はしてません。
伊佐須美神社
ここの神社も古いです。そして、また伊弉諾尊と伊弉冉尊がでてきます。
「社伝によると、凡そ二千有余年前第10代崇神天皇10年に諸国鎮撫の為に遣わされた大毘古命とその子 建沼河別命が会津にて行き逢い、天津嶽(現・新潟県境の御神楽嶽)において伊弉諾尊と伊弉冉尊の祭祀の礼典を挙げ、国家鎮護の神として奉斎した事に始まると伝えられます。」
およそ、二千年前は少なくとも関西辺りと東北辺りまでは大和武尊や伊弉諾尊と伊弉冉尊は別格の有名人であったということを私はこのたびで知ることができました。
ぼくの移動は、新幹線や車を使いますが二千年前はどのように旅をしていたのでしょうか。
旅をすることが仕事だったのでしょうか。各地をまわり信仰により民を鎮めるのが仕事?
社格は、明治維新以降戦前に至るまでは“国幣中社”、現在では“岩代国一之宮”だそうです。
会津鶴ヶ城
会津の鶴ヶ城は、というか会津藩は歴史も古くから近年に入るまで時代の中心にいた存在でいろいろな著名人が現代の礎となり要所要所で登場してくる場所(?)藩(?)城(?)です。
この地に初めて石垣や天守閣などを備えた本格的な近世城郭を築いたのが蒲生氏郷です。1593年。
この石垣すごい綺麗でびっくり。で当時の石垣かと思ったらどうも違うよう。
こちらが会津のシンボルの石垣だそうです。これでも良い感じ。
明治7年(1874年)までに天守閣をはじめとするすべての建物は取り壊されてしまったそうです。昭和40年再建。
こちら、有名な伊達さんの兜。伊達政宗は1589年から1592年まで会津を統治していた。
蒲生氏郷が愛用したとされる鯰尾兜(なまずおかぶと)の詳細不明で氏郷の妹が南部家へ嫁いだ際に持参した燕尾形兜だそうです。どうみてもワンピースにでてくる○○○○かとおもいました。
日本名城百選69城目です。
東山温泉
最後は、東山温泉です。
会津の奥座敷・東山温泉は今から約1300年前、名僧・行基によって発見されたと言われ、奥羽三楽郷に数えられる歴史ある温泉郷です。
日本百景にあるので訪問したのですが景色は写真に収めることなく足湯の写真で失礼します。
いろいろな有名人もお越しになった湯のようです。
日本百景64ヶ所目です。
阿賀川
最後の最後に阿賀川です。阿賀川は、日本百景に入っているのですが新潟県にぼくは登録してたんです。
会津にも阿賀川が流れているので阿賀川も訪問しておきました。
阿賀野川本流は福島県の荒海川(あらかいがわ)を源流とし、会津地方で阿賀川(大川)、新潟県に入ると阿賀野川と名を変える。だったら阿賀川は福島県の川(?)。
でも新潟県が阿賀川の日本百景に選ばれてる。
とはいうものの、
日本百景65ヶ所目です。
現代人の移動手段
昔の人は偉いです。ラジオもテレビも新幹線も自動車もなくても関西でも有名人。東北でも有名人。
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