川越城と氷川神社(20240713)

城の記

2024.07.13

日本全国梅雨での大雨による被害もでており今日は山登りはお休みしてお城と神社巡ってきました。

川越城

川越城は、長禄元年(1457年)に、上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が築いたといわれています。
江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていました。現存する建物は嘉永元年(1848年)に建てられたもので、本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残り、川越藩17万石の風格をしのばせています。(川越市ホームページより)
川越城は、戦国時代の戦の城ではなく江戸時代将軍のための「御成御殿」であったと考えられているそうです。
城は、1846年に火災により焼失し嘉永元年(1848年)に再建された。当時は建物数16棟、1025坪にも及ぶ広大な建物であったようです。明治以降解体などされましたが昭和42年大規模な修理により今の建物になったそうです。








現存しているお城は趣がありますね。修理されたとはいえ丁寧に再現されています。
ぼくは、最後の写真にある杉戸絵が素晴らしく感動しました。

氷川神社

氷川神社は社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代3年4月未の日の御創立と伝えられます。と氷川神社のホームページにありましたが「第五代孝昭天皇の御代3年4月未の日」とはいつ?と調べたらやっぱり氷川神社のホームページで西暦120年が氷川神社の創建とでてきて歴史の古さに恐れ入ります。城の歴史は100年前後ですが神社の歴史は1000年を優に超え日本武尊が日本全国どこへでもでてきてこれまた恐れ入ります。
そんなこんなで、氷川神社は武蔵一宮として定められています。




「令和十年には御鎮座2500年祭を迎えます。」だそうです。
明治天皇の御親祭なども行われ歴史の古さとともに日本の中心にあることがうかがえます。
今日は、冒頭にも書きましたが梅雨の合間の城・神社めぐりでした。

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