松代城・上田城・小諸城(20240105)

城の記

2024.01.05

今年は、暖冬なのか雪も少なく暖かな日続いてますので長野県内のお城巡りしてきました。

松代城址

「武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を競った川中島合戦で、武田側の拠点として築城されたといわれています。千曲川の流れを外堀とする天然の要塞で、当時は「海津城(かいづじょう)」と呼ばれました。」とのことです。
一部工事が行われていて入れませんでしたしお城も現存していないにもかかわらず写真バシバシ撮りたくなるようなお城です。天気が良かったこともあるかもしれませんが遠くまでよく見渡せる、でも北側に千曲川が流れ堀は深く石垣も綺麗です。武田信玄や上杉謙信の時代ですから関ヶ原合戦前と言うことになります。それでこの石垣か~と感心してしまう。ぼくもお城マニアに成りつつあるのでしょうか。






真田邸

1864(元治元)年に建築した松代城の城外御殿だそうです。江戸時代に参勤交代の緩和などから家族の住む屋敷として建てられたとのことです。昭和41年に松代市に14代当主から家宝とともに寄付されたとのことでした。とてもおしゃれなお屋敷でした。



上田城址

「上田城は天正11年(1583)真田昌幸によって築城され、天正13年(1585)第一次上田合戦・慶長5年(1600)第二次上田合戦の二度にわたり徳川の大軍を退けたことで知られています。」とあるようにこちらも関ヶ原合戦前の築城になります。

真田石だそうです。石の大きさで権威を示すため置かれた石だそうです。

こちらも綺麗な石垣ですね。

これは、土塁の隅落としといわれるもので城の東北の土塁の角を落とすもので鬼門除けだそうです。

井戸です。この井戸は場外に続いていて籠城攻めされた際も場外との通路として利用できるものとなっていたそうです。


今は、真田神社として場内に祀られています。


小諸城址(懐古園)

小諸城の歴史は、松代、上田城よりさらに古く「小諸城の起源は、平安時代から鎌倉時代にかけて「源平盛衰記」や「平家物語」に登場する小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が、現城址の東側に築いた館(宇頭坂城)に始まる。」だそうです。






この石垣もすごいです。丸っこい石などなんですがしっかり積み上げられ隙間があるようでないんです。雑草などもない。これは手入れされているのか積み方がうまいのか。見ていると感心してしまう石垣です。

自然の要塞っぽいです。南側に千曲川北側にこの崖です。

今回、長野の3つのお城を巡ってきたのですが天守など現存する建物はありませんでしたが関ヶ原合戦前の築城にして石垣や城からの眺めやとても感動するお城ばかりでした。

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