高尾山と八王子城址(20231125)

城の記

2023.11.25

今年2023年は、異常なくらい暑い日が多く11月になっても25℃以上の夏日が続いていましたがここにきてやっと寒気が入ってきて気温がぐっと下がってきました。そこで紅葉進む高尾山行ってきました。また、先週訪問した小田原城とも関わりの深い八王子城址も近いのでちょっと訪問してきました。

高尾山

期待通り紅葉が進み綺麗な景色を楽しむことができました。
高尾山口駅すぐからきれいな紅葉始まっていました。

ケーブルカー口から登山開始です。今日はケーブルカーでなく歩いて登ります。

登りは1号路から登ります。

雲が多めですが紅葉は進んでいて綺麗でした。

薬王院のモミジはすばらしく赤でした

1時間ほどで山頂。人が多いです。

山頂からの形式。雲が一面埋めてます。

帰りは稲荷山コースで下山します。

下山したらロープウェイ駅にはすごい行列できました。そこから高尾山口駅までもすれ違いも大変なほど混雑で高尾山の人気の山であることが良くわかりました。高尾山は日本百景のひとつでもありますので今回訪問いたしました。

八王子城址

小田原城と関わりの深い八王子城址ですがいつものごとくよくも調べず高尾山の帰りにちょっと寄ってくるつもりで訪問したのですが普通に山登りでした。八王子城は、関東屈指の山城で本丸跡は460m、山としてはそこまで高いわけではありませんが城であれば十分な山城です。
小田原に本拠をおいた小田原北条氏の三代目、氏康の三男、北条氏照(?から1590年)が築いた山城です。
築城の時期ははっきりしませんが、天正年間に築城が開始され、氏照が滝山城から移ったのは天正12年(1584年)から天正15年(1587年)の間とする説が有力です。天正18年(1590年)6月23日、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城しました。この、八王子城落城が決め手となって籠城を続けていた小田原城は開城、北条氏は滅亡しました。氏照はこの時、小田原に籠城中で、開城後、兄の氏政とともに城下で切腹しました。
今の城址は、平成2年にできるだけ当時の形に忠実な復元がされているそうです。お城は残っていませんが日本百名城に選ばれています。

曳橋(ひきはし)という御主殿へ入るための橋で当時は簡単な橋で攻められてきたときにはこの橋を壊し敵の侵入を防いだようです。

御主殿への入口で当時の石垣も残っていて貴重な資料にも成っているようです。


氏照の居城があったとされる御主殿跡です。

なかなか広く気持ちよい場所です。天気も良くなってきました。

ここからです。本丸跡に行こうとしたら突然山登りとなりました。

1時間ほど登ると本丸跡到着です。本丸跡は山頂であるためそれほど広くはありませんでした。

本丸跡へ行く所々に曲輪(くるわ)といわれる主要な家臣が守っていた住居なのか砦がいくつかありました。
天気も回復し関東平野も望め広大な山城であったことが理解できた良い経験でした。
高尾山と八王子城址でした。

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