松山城と湯築城(20230203)

城の記

2023.02.03 その4

愛媛訪問でお城が多いんですが個々に紹介しようと思いましたが湯築城は書くことも写真も少なくて松山城と一緒に紹介させて頂きます。

松山城

松山城の創設者は加藤嘉明です。嘉明は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、20才の時に賤ヶ岳の合戦において活躍し、七本槍の一人としても有名となりました。現在の天守は、1854年に落成。これが現在の天守です。
その後、昭和に入り小天守やその他の櫓が放火や戦災などのため焼失しましたが、昭和41年から全国にも例を見ない総木造による復元が進められました。とのことでした。

今回の訪問は、二の丸の庭園から訪問させて頂き徒歩で本丸まで歩かせて頂きました。本丸の前には紅白の梅の花も咲いており立春にふさわしい風景でした。











たまたま、この日は刀の手入れの日とのことで素晴らしい刀剣を手入れしているところ見せて頂きました。写真では光って龍の彫刻うまく撮れませんでした。


湯築城

中世の伊予国守護河野氏の居城で、地形を利用して作られた平山城。二重の堀と土塁を設け、城内に居住区も有するという近世城郭の構造を、安土城より40年も早く築き上げていた。戦国時代中頃の大規模な堀や土塁が良好に残る稀な遺構として歴史的価値も非常に高く、日本百名城に選定されている。とのことです。
湯築城は、今は天守ではなく展望台がありました。






2023.02.03はここまででその2で紹介した杖ノ淵公園、鷹ノ子温泉にその後向かいました。その5に続きます。

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